キャリア形成

運用の上手いFM、口の上手いFM

同僚との雑談で運用が上手いFMと口が上手いFMのどちらが出世するか、という話題が出た。ビジネスとして考えた場合、資産運用会社は運用力と営業力どちらが重要か、という良くある議論の派生形だが、結局、口が上手い方が出世しているよね、という結論になった。

真面目にこの議論をしようとすると、

・何を以て「出世」とするか。
・漠然と「運用力」というが、何をもって運用力が高いとするのか。そしてそれをどうやって測定するのか。

という部分の定義をしっかりとする必要がある。営業力、の方は比較的定義が明確で、且つ能力と営業成績との相関も運用よりは明らかに高く、結果から能力を推し量ることは難しくないので、ここでは一旦脇に置く。そして、運用力についても、資産運用関連の書籍等で良く話題に上る話なので、ここでは触れない。

では、出世するとはどういうことか。社会的な地位や名誉(ステイタス)を得ることと言えるだろうが、地位や名誉の得方はざっくり言うと以下の2通りがある。

①所属する組織のヒエラルキーの上位に上り詰める。
②広く世間一般に、その道のエキスパートとして認知される。

金銭的に多くの報酬を得るようになる、ということを出世と形容する場合もあるが、分野によっては、ステイタスと金銭的報酬は明らかに反比例する傾向がある。例えば医者などの場合は、東大の大学病院で薄給で基礎研究をしている勤務医と、美容整形外科を開業して億単位の収入を得ている開業医を比較すると、ステイタスでは圧倒的に前者の方が高いだろう(異論はあるかもしれないが)。こうした事情もあり、金銭的報酬とステイタスの関係については、話がややこしくなるので、ここでは一旦、両者は別物だとしておく。

ステイタスの話に戻ると、上記①②は基本的には両立しない。
①の道を選択する場合、ゼネラリストとしてビジネスと組織の全体を統括するスキルを高める代償として、特定分野のスペシャリストとしての道を閉ざすことになる。②の場合は、特定分野の深い知識と経験を得る代償として、専門バカという蔑称(人によっては褒め言葉だろう)を甘んじて受け入れる必要がある。

当然、①②を両立するケースもあるにはある。例えば、所属する組織の経営トップに上り詰め、その経営手腕が組織外でも高く評価され、経営のスペシャリストとしてマーケットバリューも非常に高い、というケースなどだ。ある特定の分野を徹底的に極めた人物は、相反する二つの要素を併せ持つ傾向がある、と言ってしまうと陳腐だろうか。

ただこれは、一般のサラリーマンが良く言われる、「苦手分野を作らず、バランスの良い人材になりましょう」ということとは質的に異なると思う。完全に余談だが、取り立てて強みのない、無難な日本のサラリーマンが、「どんな仕事も大体一緒」、「仕事力があればどんな分野でも成果があげられる」などと言うのを耳にすることがある。が、そういう人材は得てして、①②のいずれの意味でも出世せずに中途半端な便利屋で終わってしまう・・・傾向がある気がする。(この辺は完全に主観だが。)

私自身の考えは以下のようなものだ。

(A)個人のリソースは有限なので、あらゆる分野で一流の能力を身につけることは困難。
(B)リソースの問題だけでなく、人の能力には排他的なものが数多くある。外交的な能力を高めると内省の能力を殺す。細部のディテールに拘ると全体感を見失う。これらは構造的に両立できない。
(C)従って、傑出した成果を上げるためには、得意分野に注力し、他の分野に秀でるのは諦める、というリスクを取る必要がある。
(D)だたし、結果的に、特定分野を究めた人間は、他の分野に通じる普遍的な能力を有するケースがある。事後的にそうした人物を見ると、守備範囲が広く、多様な能力を持っているように見える。

恐らく、バランスが大事、と殊更に強調する人が後を絶たないのは、以下のような事情があるからだろう。

・(D)の結果だけ見て、そこに至るプロセスである(C)が見えていない。
・(C)の部分で、自分の分野を選択するというリスクテイクが出来ず、その言い訳として(D)を持ち出す。
・そもそも、組織の歯車としては、尖った人材よりも平均的にバランスの取れた人材の方がマネジメントが楽。

私自身も、自分の専門を選択するリスクが取れない方なので、アカデミックな研究者じゃないんだから、実務家は特定分野を深堀するよりも、複数分野の組み合わせの妙で勝負すべきだ・・・などと口走ることがある。

個人に与えられたリソースは有限だし、自分が得意なことなんてごく限られたものだ。
だからこそ、特定分野にコミットするリスクを取らなければならない。年齢的にも、そろそろ職業選択の幅が狭まってきているため、最近特にそう思う。

別に傑出した成果なんて上げなくても、肩の力を抜いてほどほどに楽しくやればいいじゃん・・・という選択もあるし、そういった発想の人は個人的には好きだが、残念ながら自分自身はまだそこまで達観できそうもない。

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資産運用会社のキャリアパス

そろそろ新卒の新人が入社してくる時期だ。

運用会社によってポリシーは異なるが 日系の大手だと新人はミドルやバック 顧客セクションでの営業支援(要は内勤の事務や資料作りだ)を数年やってから希望と適性を勘案してファンドマネージャー等のフロント職種になるというキャリアパスが一般的なのではないか。当然、ミドル・バック系業務の適正の方が高い場合は、その道のスペシャリストとしてそのままキャリアを構築するという可能性も有り得る。

ミドル・バックでワンクッション置くのは、社会人としての基本動作が身につかない新人は、どこに行っても雑用係ではあるのだが フロントの雑用はマニアックなので(高度、という訳ではないし、専門性が高い、と形容するのもやや?な気はするが)、エクセルも満足に使えず運用知識もない新人が配属されても扱いに困るという事情がある。

また、新人はやはり外から見て華やかに見えるアナリスト、クオンツ、ファンマネあたりを希望するので 数年実務をやらせてみて、運用会社の実情を知ってもまだ情熱が消えない人材を奮いにかける意味もある・・・気もする。是が非でもマーケットに興味があって貪欲な人種はそもそもバイサイドではなくてセルサイドを目指すので、バイサイドの新人は良く言うとバランスの取れた会社人、悪く言うと目的意識が乏しく状況に流される、という傾向がある。

そのため、とりあえず入社時にはなんとなく運用フロントと言っている新人の相当数は、数年経過すると当時の情熱らしきもの(就職活動時に強引に捻り出した志望動機)は影を潜めているケースが多い。

運用会社には 投資銀行ほどではないがなんとなくフロントが偉いという雰囲気がある気がする。年配になるほどその傾向は顕著で、彼等は例えば、優秀な若手が、優秀であるが故に仕事を抱えてしまい、ミドルあたりの職種からなかなか動けなくなってしまっているのを見て、「もったいない」などと形容することがある。が、個人的にはそういう価値観はあまり好きではなく、やや勘違いの匂いを感じてしまう。

ビジネスとして見た場合、運用会社は装置産業的色彩が強い、そのため、企業の競争力に与えるインパクトは、個人のタレント<組織力だ。投資銀行などと比較すると、こつこつとインフラを整備する色彩が強い、スペシャリスト型よりもゼネラリスト型の方が生産性が高い(場合が多い)という事情があり、ミドルバックの方がフロントよりも実務上は重要だと個人的には思う。(あとパフォーマンスでは継続的に目に見えた差がつくわけではないので、営業力も重要だが)

近年の大手運用会社の、上記のような新人のキャリアパスは、バランスの取れたビジネスマンを育成しよう・・・という意識が垣間見られるので、個人的には入社時にいきなりフロントに配属するよりは良いことだと思う。経営層にも、職人ばかりでは組織は回らない、という問題意識があるのだと思う。

同世代の運用フロントの若手・中堅層を見ても、シニア層と比較して職人型の人材よりもビジネスマン型の人材が多いような気がする。これは、上記のようなローテーションの効果なのか、時代の風潮なのか、はたまた経験を重ねれば今の若手・中堅層も環境に適応して職人型になってしまうので、状況は何も変わっていないのか、いずれなのかは定かではない。ただ、個人的には専門領域は持ちつつも、ビジネスマンでありたい、と思っている。

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Don't tink. Feel!!

人材配置や社員の育成時には、その人物の弱みではなく強みに着目しろ・・・。

多少なりともビジネス関連の書籍を読んだり、マネジメントをかじったことのある人間にとっては、1度は耳にしたことがある、常識と呼んでも差し障りのない原則だろう。

弱みを克服するためには膨大な努力と精神的な苦痛を伴うが、投下した労力に見合う成果が得られないばかりか、その人物の強みを殺す結果にもなりかねない。一人の人材に全方位の能力を要求するのではなく、適材適所を考慮し、異質な個性の組み合わせでビジネスを全体最適に導くのが優れたマネージャーだ。

・・・と、こう書くとあまりにも当たり前のことのようだが、知識として知っていることと実践できることの間には大きな溝がある。自分の行動を省みても、周囲の人間の振る舞いを見ても、普段口では上記のようなことを言っていても、知らず知らずのうちに相手の弱みに焦点を当ててしまうことは多いと思う。こうなる理由としては、以下のようなものがある気がする。

(1)本当は全方位において高い能力をもったバランスの取れた人材がベストだと考えている。ただ、そんな人材はそうそうおらず、周囲の人間にそれを要求するのは現実的ではないので、次善の策として「強みに着目する」のがよいと考えている。だから気を抜くと、相手の弱みが気になってしまう。

この考え方に対する反論はこうだろうか。

・ある能力を高い水準で手に入れる場合は、必ず他の能力を犠牲にする必要がある。人材の各能力は独立して伸ばせるものではなく、能力の組み合わせによっては負の相関があるものもある。

例えば、数学のように抽象的な思考能力に非常に高い能力を示す人材の多くは、具体的な知識の収集(要は暗記モノか)が苦手だ。抽象化の能力というのは、ものごとから無駄なものをそぎ落としてエッセンスのみを抽出する能力なので、事実をありのままの姿で脳裏に留める能力を犠牲にする。抽象化に長けたある友人は、暗記科目が苦手な理由として「意味が薄くて頭に入らない」と言っていた。

そのため、全方位の能力を高い水準で維持するのは、努力の多寡とか、その人物のスペックなどにかかわらず、人間の構造上無理、ということになる。

また、人の弱みに目が行ってしまうもう一つの理由としては、

(2)強み・弱みというものは同じ能力を異なる側面から捉えているに過ぎない。ある人物にとっては強みと映る能力でも、他の価値観を持つ人間に取っては弱みと映る。そのため、本人は強みを伸ばそうと努力しているつもりでも、価値観の違う人間にとっては弱みの上にあぐらをかいているように見えて、嫌悪感を覚える。

というものがあるかも知れない。

例えば、「社交性」という能力。価値観の異なる多様な人々と意思疎通を図れる、という点では強みだが、価値観の異なる人々と良好な関係を築くためには、相手の懐に一定以上踏み込まずに、適度な距離感を保つ必要がある。この態度は、特定の価値観の合う人間と深い関係を構築したいタイプの人材からすると、「腹を割って付き合わずに、表面的な付き合いしかできない」という弱みと映る。あいつは人脈はあるかも知れないが人望はない、と言うわけだ。

こうした人間が絡むマネジメント系の能力は、知識として知っているだけでは殆ど役に立たない。そればかりか、誤った解釈をして変な先入観を持ってことにあたってしまい(人間は自分の都合の良いように解釈しがちだ)、かえって知識があることがマイナスに作用するケースも少なくないように思う。

とにもかくにも、実際に行動して痛い目を見ないと成長はないのだろう。
考えるな、感じるんだ、といったところだろうか。(古いな)

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コンテンツよりキャラ立ち重視

日本のブログ総件数は1000万をを越えるそうだ。

そのうち、月1度以上更新があるのは全体の18パーセントで300万件程度とのこと。想像より大分多い。詳細は下記リンク参照。

■国内ブログの総記事数は約135000万件に[ITmedia]20080703日 更新http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/0807/03/news054.html

■ブログに関する調査。7割以上のブログは1日の平均アクセス数が50以下、週に1回以上更新を行なうブログは6割以上。[iMiリサーチバンク]20080521日更新

http://www.imi.ne.jp/blogs/research/2008/05/080521blog.html

ちなみに、1500件以上アクセスがある「活性ブログ」には更新回数が多いという傾向があり、その多くは週に34回以上更新しているそうだ。

ざっくりとした分類だが、見ていると活況なブログには以下の2種類のパターンがあるように思う。

・ブロガーのパーソナリティを魅力的に描写するタイプ。更新頻度が多く、プライベートな話題も多い。芸能人のブログなどはこの典型だろうか。

・コンテンツ自体の品質が高いタイプ。まとまった文章を記載するので、更新頻度は上述のキャラ立ち系のブログよりも低い。趣味の分野を深堀したり、専門的な職業人が自分の専門分野を題材にしているのはこのタイプ。

質の高いまとまった文章を毎日更新するのは現実的ではないので流行るブログは前者のパターンが多いのだろう。

友人曰く、クオリティの高いブログはネタが尽きて短命に終わる傾向があるとのこと。確かに、ブログはパーソナリティ描写に適したメディアだと思う。

そう言えば昔、現代で売れる創作は、構成やストーリーがしっかりしているものよりも、詳細な設定を持つ、「キャラが立った」登場人物が多数登場するような作品が多い、という批評を読んだことがある。

ビジネスで長期的なキャリア形成に成功している人物を見ても、抜群の品質のアウトプットを出す人材よりは、アウトプットは程々でもキャラが立っているタイプが多い・・・気がしなくもない。コンテンツよりもキャラの方が消費されにくいからだろうか。

コンテンツよりもキャラ立ち重視。

これが消費のスピードが速い現代で、息の長いキャリアを築く鍵なのだろうか。

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ボケとツッコミのキャリアパス(3)

今回は、お笑い界の大御所3名(さんま/紳助/たけし)の強み・弱みについて分析をしてみます。

紳助よりはBIG3の一角であるタモリをいれるべきじゃないのかとか、ダウンタウン/ウンナン/とんねるずの平成御三家はどうするんだとか、色々と突っ込みどころはあるかと思いますが、個別の芸人にあまり詳しいわけではないので、その辺はご容赦ください。

ちなみに、いつも思うんですが、タモリってお笑いに分類されるんでしょうか。もともと芸人出身じゃないですよね。みのもんたあたりと同じカテゴリーで司会業とでもした方がしっくり来るような・・・。

■ケース1:明石家さんま(ツッコミ型)
芸能人素人問わず フリートークの仕切りの能力は随一。ただ、強いて言えば素人相手の方が得意な印象がある。上岡龍太郎曰く、「素人相手ならさんま、芸能人相手なら紳助」とのこと。ピン芸人でボケもこなすので、ボケ&ツッコミをバランス良くこなすオールラウンダーにも見えるが、実は落語は相当つまらないらしい点や、ネタを書いているのを見たことがない点を考えると、元来ツッコミ型と考えるのが妥当だろう。

■ケース2:島田紳助(ツッコミ型)
恐らく大御所と呼ばれる芸人のなかでは最もバランスがとれており万人受けする。綺麗事が多くてちょっと鼻につく、暴力沙汰が多くてちょっと・・・という意見はあるものの、固めの経済番組からお涙頂戴までこなしとにかく守備範囲が広いのが最大の売りか。若かりし頃には緻密な研究ノートを書いていた等、努力の人という印象が強く、典型的な晩成型キャラと言える。

・・・と、色々Webで調べながら書いているのですが、紳助は紳助・竜介時代は実はボケだったことが今判明。ずっとツッコミだとばかり思っていました。ややこじつけがましいですが、若かりしころはボケ担当だったものの、適性としては実はツッコミ型で、年齢を経るごとにツッコミ型にシフトしていったと考えるのが妥当な感じでしょうか。

尚、成功して息の長い芸人を見ていると、程度の差こそあれ、ボケ/ツッコミ双方の要素を併せ持っているタイプが結構多い気がします。どんな分野であれ、一角の業績を残す人間は、相反する二つの要素を併せ持つものだ、という昔の上司の言葉を思い出しました。

■ケース3:ビートたけし(ボケ型)
ボケ型でこの年齢で売れ続けている芸人は他にあまり思い付かない。そういう意味では非常に希有な存在。他のボケ型芸人と一線を画しているポイントとしては、

・映画監督としてヴェネチア国際映画祭でグランプリを獲得するなど、芸術路線でも成功を納めている。大学が工学部だったこともあり数学への造詣も深いらしく、数学の研究者になりたかったと語ったこともあるという。

・政治経済関連の硬めの話にも対応しており、知性を感じさせる。加えて、あくまでも笑いを絡めた社会風刺の立場を貫いており、真顔で社会問題を論じて底の浅さを露呈してしまうという愚は犯さない点が上手い。たけしを意識して、政治経済関連の仕事をしたがる爆笑問題の太田が、エキサイトすると笑いそっちのけで自説を熱弁して周囲を白けさせてしまうという行動をとりがちなのと比較すると、一枚も二枚も上手だろう。

といったあたりでしょうか。番組でメインを張る場合には、必ずと言っていいほど進行役のアナウンサーかツッコミ系芸人を配置しており、自分のスキルセットを冷静に把握して、他人を使ってウィークポイントを上手くカバーする術を知っている点も重要かも知れません。

ここまで考えてみると、何だ、ボケ型芸人にもたけしをロールモデルにして大御所まで上り詰めるキャリアパスがあるじゃないか、と思えます。ただ、たけしを明らかに意識していると考えられる、たけし以後のボケ型芸人の生き残り戦略は、いずれも功奏しているとは言い難い状況にあるように見えます。(ダウンタウン松本、爆笑問題太田など)

次回は、この理由について検討してみたいと思います。

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ボケとツッコミのキャリアパス(2)

前回はボケとツッコミの一般的な特徴を記載してみました。次はそれを踏まえ、更にもう一歩踏み込んで、浮き沈みの激しいお笑い界で長年生き残ってきた大御所を個別に分析してみたいと思います。

ちなみに話は脇道に逸れますが、前回の記載では、ボケ=早熟/ツッコミ=晩成、というざっくりとした分類をしましたが、そこで湧いてきたのは、

『ボケが晩成型になるのは不可能なのか?』

という疑問です。決して芸人に詳しい訳ではないのですが、現在の40歳代以上で大御所と呼ばれる芸人の数はツッコミ型>>ボケ型という印象です。

更に、再び強引にビジネスの世界に視点を移して見ても、出世して経営に関与する人材には、やはりツッコミ型=コミニュケーションスキルの高いゼネラリストが多い気がします。

かのGEのジャック・ウェルチも、ビジネスマンとしてのキャリアをエンジニアとしてスタートしたそうですが、エンジニアとしては取り立てて優秀ではなく、マネジメントに転じててから大成したというのは有名な話です。

一方で、特定技能に特化したボケ型人材は、プレイヤーとしての役割が求められる30代前半までは勢いがあるものの、マネージャーとしてのウェイトが高まる40代以降では急激に精彩を失うケースが散見されます。

ボケ型芸人が短命であることの、現段階での仮説は以下のようなものです。

・ボケの場合はキャリアの立ち上がりが早いので、若年のうちに十分な完成度にまで到達する。そのため、芸歴が長く単価の高い高齢芸人をわざわざ使わなくても、相対的に単価が安い勢いのある若手で十分笑いのクオリティは確保できる。また、高齢芸人はボケにとって重要な地頭・瞬発力・発想といった能力が低下する傾向があるため、若手よりも笑いのクオリティが下がる傾向がある。

この仮説が正しいとすれば、ボケ型芸人に残されているのは、できる限り早く能力を立ち上げて、賞味期限が切れる前に荒稼ぎしてアーリーリタイアを目指す、という短期集中・一転突破型のキャリアパスのみなのでしょうか。(某投資銀行業界みたいなキャリアパスですね・・・。)

この疑問に早急に答えを出す前に、まずはお笑い界の大御所達の特徴を見ていきたいと思います。

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ボケとツッコミのキャリアパス

しばらく前に島田紳助がネプチューン・くりいむしちゅーの番組に珍しくゲスト出演しており、お笑い界生き残りの秘訣(大袈裟か)を若手芸人達に伝授しているのを見た。名倉(ネプ)と上田(くりいむ)を今後も生き残ると持ち上げて、原田・ホリケン(ネプ)と有田(くりいむ)はもういっぱいいっぱいだと落してひとしきり笑いを取っていた。

ボケ連中を上手くいじって笑いを取っていると言ってしまえばそうなのだが、その発言の中には結構示唆に富むものも多く、触発されていろいろと考えさせられた。発言はうろ覚えですが以下のような感じです。

『三十代で司会をやる時は笑わせていればいい。四十代では笑いは3割くらい。五十を過ぎたら知的に見えないとダメ。』

『ネタ書くのなんかしんどい。苦労して笑ってもらえるかどうかもわからない。それに引き替え俺なんかこうやってだらだらフリートークしているだけで笑いになって、お金もらえるんだからいい商売だ。』

お笑い芸人でも歳を重ねる毎に求められる資質が異なってくる。番組を見ていて、お笑いのキャリアパスとビジネスマンのキャリアパスを比較すると、結構類似点が多く、自分の今後の身の振り方を考える上で結構参考になった。そのため、お笑い芸人のキャリア形成について体系的に考えてみることにしました。

題して、「ボケとツッコミのキャリアパス」。

全体的に大袈裟かつ強引なのは、こういう企画モノの文章ではお約束ということでご容赦下さい。

まず頭の整理として、ボケ型/ツッコミ型芸人の一般的な特徴を整理してみます。

■ボケ型:

・知識・経験よりは、頭の使い方やセンスがものを言う。ツッコミと比較して頭がいいと評される。

・独特の世界観を構築する。優秀なボケは総じて芸術方面での何らかの才能を持ち合わせている。

・キャリアの立ち上がりは早く、コンビの場合大抵二十代のうちはツッコミよりも脚光を浴びる。

・ネタを書くのはこちら。そこそこ売れてくると文筆業をはじめるのもこのタイプ。

■ツッコミ型:

・知識・経験に比例してツッコミの技術が向上。若いうちはボケと比較して見劣りするな・・・と思っていたらいつの間にかいい味出しているのがツッコミの理想的な成長パターンか。

・人間関係構築は総じてボケより上手い。ボケは自分の殻に閉じこもるタイプが主流だが、ツッコミは総じて社交的。そこそこ売れたツッコミは大概後輩芸人を引き連れて自分の一派を形成する。

・ボケは尖った才能を持ち、スキルセットをレーダーチャートで表現すると楔型なのに対して ツッコミはバランスの取れた円型となる。

やや安易にビジネスに当てはめると、ボケ型は特定の専門分野に秀でたスペシャリスト、ツッコミ型はバランスのとれたゼネラリスト、といったところでしょうか。次回では、たけし、さんま、紳助あたりの大御所芸人のタイプを分析し、芸人としての生き残りの道を模索します。

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